« 調査の協力依頼を続けています | トップページ | 前宮城県知事の浅野史郎さんにインタビュー »

2012年3月24日 (土)

知事連携の時代を区分してみる

改革派知事連携の時代を4つに区分してみた。

 

最初は、1998年4月の地域から変わる日本推進会議の発足から、2001年6月の同会議「森は海の恋人シンポジウム」で地方財政改革に対する緊急アピールを出すまでの間だ。

 

岐阜、秋田、宮城、岩手、三重、高知の知事が集まって、改革派知事ということばが一般に使われるようになってきた時期だ。

 

情報公開やNPO支援といった政策面での情報交換や先進事例の共有をしていくことがメインで、三重、東京、秋田、宮城、岩手、高知といった地方に出てシンポジウムを開くという連携をしていた。

 

地域から変わる日本推進会議で、初めての政策提言を打ち出したのが2001年6月だ。地方財政に対する緊急アピールを通じて、2か月前に発足した小泉政権が骨太の方針で打ち出したような内容に対する危機感を明らかにした。

 

政策の方向性が似ている知事どうしで集まる親睦の場を気づいてきたのが第1期だとすれば、闘う知事会路線を提唱する岐阜県の梶原知事が全国知事会長に就任する2003年9月までが第2期となる。

 

第2期の2年余りの間には、地域から変わる日本推進会議に加え、地域からIT戦略を考える会、地方分権研究会、これからの高速道路を考える地方委員会、地域自立戦略会議、緑の雇用推進県連合、21世紀臨調・知事市町村長連合会議といった、改革派知事が連携した組織が次々に結成された。

 

また、緊急アピールや共同宣言のような形で、政府・与党に対して政策を提言することが一般的になった時期でもある。日本道路公団の民営化やマニュフェスト選挙の実施、三位一体改革の実現などを求めて、大臣に提言書を渡し、記者会見をすることが頻繁だった。

 

2003年9月に岐阜県の梶原知事が全国知事会長に就任して以降の第3期では、闘う知事会というキャッチフレーズのもと、地方6団体のひとつである全国知事会と私的な色彩の強い知事連携の会が役割分担をしながら、小泉首相が投げかけた三位一体改革の提案を正面から受け止めて、地方の声を政府に反映する訴えを繰り返し重ねていった。

 

特に、2004年5月に地方6団体が地方財政危機突破を求める武道館での決起大会をしてから、8月にあった新潟の全国知事会議で補助金削減案を全国知事会として取りまとめ、11月下旬に政府・与党で三位一体改革の全体像を決めるまでの半年間は、地方の財政的な自立という目標に今回はぐっと近づくのではないかとの期待も大きく、改革派知事の集まりに対する注目度が高かった。

 

しかし、2005年を迎えるころには、三位一体改革で確かに地方への税源移譲は進んだものの、地方交付税のそれを上回る大幅カットという現実が明らかになるなか、2005年2月には全国知事会長が梶原・岐阜県知事から麻生・福岡県知事に交代した。

 

麻生知事も地方分権研究会や国と地方の税制を考える会といった知事連携会議のメンバーではあったが、知事会長選挙で争ったのが増田・岩手県知事という構図のなか、闘う知事会路線が真っ向から否定されたわけではないものの、梶原会長時代の過激さは後退し、世間の注目は三位一体改革から郵政民営化の是非という方向に移ってしまった。

 

改革派知事連携の記録年表を作成してみると、2004年5月からは毎月あった知事連携の動きが2005年2月の全国知事交代があってからは、5月に国と地方の税制を考える会が開かれるまで3ヵ月も間があくことが分かる。

 

ということで、改革派知事連携の第4期は2005年2月に始まると考えている。2007年12月に橋本・高知県知事が退場するまでの第4期は、改革派知事の連携が収束に向かう時期だと言っていいだろう。

 

もちろん、改革派知事らで新しく分権型政策制度研究センターを立ち上げ、実践的な研究をするとともに提言を出していくといった新しい動きもあるし、それぞれの連携グループ会合は続いているものの、取り上げられる機会は少なくなった。

 

地域からIT戦略を考える会は岐阜県での開催予定を控えるなかに発覚した岐阜県の裏金問題を契機に終息を決め、地域自立戦略会議は2006年10月に和歌山県で開催予定があった時期に木村知事(和歌山)が逮捕される事件が明らかになって自然消滅となった。

 

岩手県・増田、鳥取県・片山の両知事が退任する2007年4月には、ほぼ改革派知事の連携は終わっていたとみなして良いのかもしれない。

 

1998年の地域から変わる日本推進会議の発足から、2007年の改革派知事退任までの間を、「情報交換する連携組織の発足から小泉内閣の誕生まで」「提言する知事連携グループの林立から梶原・全国知事会長選出まで」「闘う知事会の共闘と三位一体改革の攻防」「改革派知事の相次ぐ退場と連携の消滅」という4つの時期で区分をしてみた。

 

厳密に4つの時期をいつからいつまでとするかは議論が分かれるところがあると思うし、その間をどう位置づけるかで異論はあるかもしれないが、改革派知事たちの軌跡を記録でたどってみるなかで考えてみた。

 

|

« 調査の協力依頼を続けています | トップページ | 前宮城県知事の浅野史郎さんにインタビュー »