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2012年3月31日 (土)

月尾先生に知事連携のはじまりを聞く

改革派知事連携の最初の組織である「地域から変わる日本推進会議」をはじめた月尾嘉男先生に、29日はインタビューに出かけました。

 

98年4月に発足した知事連携の会ですが、それまでに雑誌での知事対談を通じて知り合った方々などに声をかけて始まったということを知りました。

 

東京大学の教授をして、国の審議会の委員などを引き受ける中で出てきた思いがあって、地方から国を変えていこうとする気構えだったそうです。

 

全国各地で、僻村塾という集まりを月尾先生でやっていたことも、知事連携の力になりました。

 

高知県でも四万十僻村塾というものがあって、僕も月尾先生が総務省の審議官に就任して開催したときにおじゃましたことがあるのですが、そちらとのつきあいはすっかり薄くなっているそうです。

 

知事連携の会の名前は、日本反転推進会議に決まりかけていたものを、発表直前に変えたということです。

 

全国知事会を変えるきっかけをつくったことを大きな成果だと振り返っていました。

 

今も、三重県で知事をしていた北川さんや岩手県知事をしていた増田さんとは、たまに会うとのことです。

 

何のモデルもないところから、新しい知事連携の組織を立ち上げたことが改めて分かったインタビューでした。

 

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2012年3月30日 (金)

前宮城県知事の浅野史郎さんにインタビュー

328日は、宮城県で知事を312年された浅野史郎さんにインタビューをしました。

個人的に今回の一連の調査に協力してもらっている若い友人と二人で、横浜のご自宅におじゃましました。

骨髄移植を受けたあとの浅野さんにお会いするのは初めてでしたが、浅野さんらしい語り口はそのままで安心しました。

改革派知事の連携の時代について、いろいろと話をしている間に思い出していただきました。

地域から変わる日本推進会議にさかのぼって、全国知事会議が変化していく時代の流れをたどっています。

改革派知事とは何だったのでしょうかという問いに対して、どういった選挙をしてきたかが反映されるという趣旨のお話をいただき、100円カンパで県民の支持を広げた方らしい切り口だなと思いました。

浅野知事の改革派としての活動を支えた県庁スタッフの集まりがあったことは、初耳です。

週末は、録音を聞きなおしてインタビューをまとめてみようと考えています。

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2012年3月24日 (土)

知事連携の時代を区分してみる

改革派知事連携の時代を4つに区分してみた。

 

最初は、1998年4月の地域から変わる日本推進会議の発足から、2001年6月の同会議「森は海の恋人シンポジウム」で地方財政改革に対する緊急アピールを出すまでの間だ。

 

岐阜、秋田、宮城、岩手、三重、高知の知事が集まって、改革派知事ということばが一般に使われるようになってきた時期だ。

 

情報公開やNPO支援といった政策面での情報交換や先進事例の共有をしていくことがメインで、三重、東京、秋田、宮城、岩手、高知といった地方に出てシンポジウムを開くという連携をしていた。

 

地域から変わる日本推進会議で、初めての政策提言を打ち出したのが2001年6月だ。地方財政に対する緊急アピールを通じて、2か月前に発足した小泉政権が骨太の方針で打ち出したような内容に対する危機感を明らかにした。

 

政策の方向性が似ている知事どうしで集まる親睦の場を気づいてきたのが第1期だとすれば、闘う知事会路線を提唱する岐阜県の梶原知事が全国知事会長に就任する2003年9月までが第2期となる。

 

第2期の2年余りの間には、地域から変わる日本推進会議に加え、地域からIT戦略を考える会、地方分権研究会、これからの高速道路を考える地方委員会、地域自立戦略会議、緑の雇用推進県連合、21世紀臨調・知事市町村長連合会議といった、改革派知事が連携した組織が次々に結成された。

 

また、緊急アピールや共同宣言のような形で、政府・与党に対して政策を提言することが一般的になった時期でもある。日本道路公団の民営化やマニュフェスト選挙の実施、三位一体改革の実現などを求めて、大臣に提言書を渡し、記者会見をすることが頻繁だった。

 

2003年9月に岐阜県の梶原知事が全国知事会長に就任して以降の第3期では、闘う知事会というキャッチフレーズのもと、地方6団体のひとつである全国知事会と私的な色彩の強い知事連携の会が役割分担をしながら、小泉首相が投げかけた三位一体改革の提案を正面から受け止めて、地方の声を政府に反映する訴えを繰り返し重ねていった。

 

特に、2004年5月に地方6団体が地方財政危機突破を求める武道館での決起大会をしてから、8月にあった新潟の全国知事会議で補助金削減案を全国知事会として取りまとめ、11月下旬に政府・与党で三位一体改革の全体像を決めるまでの半年間は、地方の財政的な自立という目標に今回はぐっと近づくのではないかとの期待も大きく、改革派知事の集まりに対する注目度が高かった。

 

しかし、2005年を迎えるころには、三位一体改革で確かに地方への税源移譲は進んだものの、地方交付税のそれを上回る大幅カットという現実が明らかになるなか、2005年2月には全国知事会長が梶原・岐阜県知事から麻生・福岡県知事に交代した。

 

麻生知事も地方分権研究会や国と地方の税制を考える会といった知事連携会議のメンバーではあったが、知事会長選挙で争ったのが増田・岩手県知事という構図のなか、闘う知事会路線が真っ向から否定されたわけではないものの、梶原会長時代の過激さは後退し、世間の注目は三位一体改革から郵政民営化の是非という方向に移ってしまった。

 

改革派知事連携の記録年表を作成してみると、2004年5月からは毎月あった知事連携の動きが2005年2月の全国知事交代があってからは、5月に国と地方の税制を考える会が開かれるまで3ヵ月も間があくことが分かる。

 

ということで、改革派知事連携の第4期は2005年2月に始まると考えている。2007年12月に橋本・高知県知事が退場するまでの第4期は、改革派知事の連携が収束に向かう時期だと言っていいだろう。

 

もちろん、改革派知事らで新しく分権型政策制度研究センターを立ち上げ、実践的な研究をするとともに提言を出していくといった新しい動きもあるし、それぞれの連携グループ会合は続いているものの、取り上げられる機会は少なくなった。

 

地域からIT戦略を考える会は岐阜県での開催予定を控えるなかに発覚した岐阜県の裏金問題を契機に終息を決め、地域自立戦略会議は2006年10月に和歌山県で開催予定があった時期に木村知事(和歌山)が逮捕される事件が明らかになって自然消滅となった。

 

岩手県・増田、鳥取県・片山の両知事が退任する2007年4月には、ほぼ改革派知事の連携は終わっていたとみなして良いのかもしれない。

 

1998年の地域から変わる日本推進会議の発足から、2007年の改革派知事退任までの間を、「情報交換する連携組織の発足から小泉内閣の誕生まで」「提言する知事連携グループの林立から梶原・全国知事会長選出まで」「闘う知事会の共闘と三位一体改革の攻防」「改革派知事の相次ぐ退場と連携の消滅」という4つの時期で区分をしてみた。

 

厳密に4つの時期をいつからいつまでとするかは議論が分かれるところがあると思うし、その間をどう位置づけるかで異論はあるかもしれないが、改革派知事たちの軌跡を記録でたどってみるなかで考えてみた。

 

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2012年3月15日 (木)

調査の協力依頼を続けています

改革派知事連携の調査は、公文書公開という仕組みにのっとって文書を請求していく段階を過ぎて、当時の関係者などに協力を求める段階になってきました。

もちろん、入手できていない紙資料はずいぶんとあるのですが、それを手に入れるためにも人と会っていくことが大事だと思います。

先週は高知県の知事をしていた橋本大二郎さんにお会いしました。

高知に帰ってからは、次に東京に行くときにどなたに会えるのかインタビューのお願いをしながら調整をしています。

主にメールで協力の依頼をするのですが、30分以内にすぐに反応があったときはうれしいものです。

今月末には2か所におじゃまする予定が固まりました。

高知にいる間も、秘書課に当時いた方にお目にかかったり、入手した資料を読み返したりしています。

インタビューした内容を記録に残すことも大事です。

10年前のことでも、記憶の濃淡はあるもので、パズルのピースがつながったときは、思わず声をあげてしまいます。

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2012年3月13日 (火)

橋本大二郎・前高知県知事にインタビューしました

38日木曜日に、改革派知事の先駆けといわれた高知県前知事の橋本大二郎さんへ、改革派知事連携についてのインタビューをしました。

都内の喫茶店で昼ごはんをはさみながら、2時間以上にわたってお話しを聞きました。

知事と特別職秘書として県庁で仕事をしていた出来事を振り返りながら、時代の流れに沿いつつ、たまに脱線を繰り返しながらのインタビューです。

当時、高知県庁で取材をしていた若い友人も一緒に加わってもらいましたので、話題がなかなか尽きません。

互いの近況を伝えあうこともできました。

ひとつひとつの細かな事柄は記録を見ないと分かりませんが、記憶を頼りにずいぶんと新しい調査ポイントが出てきました。

また、情報公開やNPO支援といった側面で改革派の知事が集まる機会が増えるなかから、地方分権一括法の成立という時期にあわせて全国知事会のあり方が変化していったという認識を共有できました。

地域から変わる日本推進会議が誕生する前年に、高知・橋本、宮城・浅野、岩手・増田の三知事でNPO支援を表明する記者会見があったことも、今回のインタビューをきっかけに判明したことです。

これからも、積極的に当時の関係者のみなさんらに面談して、お話しをうかがっていきたいと思います。

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2012年3月 2日 (金)

岡山、京都を公文書閲覧で訪ねました

229日は、高知から日帰りで岡山県庁と京都府庁を訪ね、公文書を閲覧して写しの交付をお願いしてきました。

岡山県庁では、平成17年に発足した分権型政策制度研究センターの資料を請求していたので、地方自治をめぐる各分野における研究の経過と概要を見せてもらいました。

各県の知事が委員として名前を連ねているので、一応、知事連携の組織ではあるのですが、実際は自治体職員と研究者、マスコミの研究会という側面が強いことが分かりました。

そのうえで、知事連携の時代を取りまとめるのに必要と思う書類の写しの交付をお願いしています。

岡山県庁で担当する地方分権推進課では、高知県で生まれ育ったという職員の方がいて、今回の手続きではお世話になっています。

午後は京都に新幹線で移動をして、京都府庁の戦前に建設された旧本館にある旧府政情報センターで、21世紀臨調の知事・市長村長連合会議の資料を閲覧して、コピーをもらいました。

京都府の山田知事は全国知事会長をしているので、担当の知事直轄組織連絡調整チームの方と知事連携にまつわる雑談をしながら、資料を見ていきます。

また、京都府庁では僕が高知県庁で特別職秘書をしていた時代に財政課長をしていた方が総務部長として勤務されていたので、表敬訪問をしてきました。

京都と高知を比較しながら、懐かしい話で盛り上がりました。

今回入手した資料を参考に、さらに記録を集めていきたいと思います。

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