2016年8月26日 (金)

8月13日は就職やUIターンイベントではしご

よさこい祭りが終わった813日午後には、就職やUIターンに関係するイベントをはしごしました。

 

まず、母校の土佐高校で開催の同窓生のUターン相談会です。

県事業承継・人材確保センターが協力しての開催です。

 

Uターン経験者の体験談、高知県の雇用市況と県事業承継・人材確保センターの取り組み紹介、Uターン個別相談会と進んでいきます。

 

参加者は30名ほどでしたが、30代男性の分かりやすいUターン経験談では、高知に帰ってきて収入は減ったが都会では夜10時過ぎまであった残業がほとんどなくなって、アウトドアの趣味をいかした暮らしができているとの話が聞けました。

 

人材紹介会社経由で高知の就職先を決めたとのことで、高校まで高知にいたとはいえ地元企業の情報は持ち合わせていなかったところ、第3者を介すると望みに近いところで決まったということでした。

 

その次は、高知会館に会場を移して、ケンジン主催の就職フォーラムこうちです。来年春に卒業する学生が主な対象者ですが、14社のプレゼンに対して80名ぐらいの学生が参加していました。

 

リーマンショックのころだと、採用もやりやすくて企業側がなかなかお盆の時期には集まらなかったそうですが、このごろは、学生の側が集まりにくいといった声も聞こえてきました。

 

ケンジンさんの就職イベントだと、企業側で個別にプレゼンすることが多くて、それぞれの高知の企業を知る良い機会になります。

 

同じ高知会館では、経営者協会などがお世話をしてUIターン就職相談会を開いていたので、そちらにも足を運びました。

 

こちらは、移住、農業、漁業、林業、伝統的産業、建設業、公務員らに分かれて相談ができることや、ハローワーク、事業承継・人材確保センター、ジョブカフェこうちなど就職一般を相談できる機関が勢ぞろいしていました。

 

お盆の帰省時期に合わせたイベントらしい特色を感じます。

 

 

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2016年8月13日 (土)

ブログを再開します

ブログでの発信を3年ぶりに再開します。

 

今年4月から、高知大学地域連携推進センターの地方創生推進部門のコーディネーター補佐として、特任准教授という肩書もいただいて勤務をしています。

 

COC+事業の推進をするなかで、県内学生の県内定着を促していくことと、人材育成のプログラムを展開することで雇用を増やすことが大きな仕事の内容です。

 

高知県は、一昔前は人口80万人としていましたが、このごろは年間7000人ていどが毎年減少していて、約73万人となっています。

 

また、15歳から24歳の年齢層で進学や就職を機会に県外へ流出する動きが年間2000人ていどになっています。

 

こういった現状を、大学の立場で高知大、高知県立大学、高知工科大学、高知高専、高知学園短大といった高等教育機関と、高知県庁、工業会、経営者協会、土佐経済同友会、中小企業家同友会といった団体がともに変えていこうとするのが、今の仕事での役割です。

 

大学に所属する立場で人口減少社会と向き合っています。

 

今までの経験をいかして、社会に貢献できることをありがたいと思います。

 

個人的な発信の場として、ブログに記事を投稿していこうと考えています。

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2013年1月23日 (水)

出版記念会を2月9日に開催します

「改革派知事の時代 地方から日本は変わったのか」を南の風社から出版したのを記念する会を、高知の三翠園で29日午後530分から開くことになりました。

高知に帰ってきてからお世話になった方などにご案内を発送しています。

返事もぼつぼつ戻ってきて、お会いできるのが楽しみです。

橋本前高知県知事にはビデオレターでメッセージをいただきました。

改革派知事の時代を振り返りつつ、地方から地方へと共感を広げて中央の体制に切り込んでいった時代から、高知が今何を学ぶことができるだろうかという議論もできればと企画をしています。

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2012年12月11日 (火)

本の印刷刊行ができました

「改革派知事の時代 地方から日本は変わったのか」という題で、ついに本が発刊されました。

取材などでお世話になった方々にお渡ししながら、高知県内から書店に並ぶように手配をお願いしています。

いくつかの感想や推薦のおことばもちょうだいしました。ありがとうございます。

たまたまに近いのですが、たくさんの知事経験者が国政に挑む総選挙の時期と重なりました。

たくさんの方々に読んでいただければ、そして、地方から国を良くしようとする試みの応援になるようにと願っています。

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2012年11月28日 (水)

改革派知事の時代に区切りをつけた嘉田・滋賀県知事の国政挑戦

嘉田由紀子・滋賀県知事が27日、124日にはじまる総選挙を前にして新党「日本未来の党」結成を記者会見で表明した。

環境社会学者から県知事に転身した嘉田知事だが、改革派知事の時代との関連では、時代に区切りをつける役割を二つ果たしている。

ひとつは、改革派知事連携のグループであった「地域自立戦略会議」「国と地方の税制を考える会」「21世紀臨調の知事・市町村長連合会議」「分権型政策制度研究センター」に参加をしていた現職の国松善次・滋賀県知事を、20067月の知事選挙で破って初当選を決めたことだ。

嘉田知事当選の背景には、新幹線の新駅設置問題をめぐる現職知事への批判もあったとされるが、環境政策でも一定の評価をうけて改革派知事連携に参加をしていた現職知事が敗れるのは初めてで、衝撃的だったと記憶している。

改革派知事連携組織のコアである地域自立戦略会議に加わって、200510月には滋賀県長浜市で、浅野(宮城)、木村(和歌山)、橋本(高知)の各県知事らと「地域の自立と福祉」をテーマに議論をかわしていた国松・滋賀県知事が選挙で敗れるということは、闘う知事会路線を主導した梶原・前全国知事会長がトップだった岐阜県庁で裏金問題が同時期に発覚したことと合わせて、改革派知事の時代に暗雲がたちこめてきたことを感じさせる出来事だった。

もうひとつ改革派知事たちと区切りをつけた点としては、地域政党「対話でつなごう滋賀の会」がローカルパーティーとして嘉田知事を支援する目的もあって結成されたときに、嘉田知事自身も顧問として加わって、今に至る首長参加の地域政党の流れを作ったことだ。

改革派知事のなかで、県議会との対立関係に苦しんだ橋本・高知県知事も浅野・宮城県知事も、県議会のなかで知事と距離感の近い議員をつくろうと応援する活動に乗ることはあったが、政治団体としての地域政党を立ち上げようとすることにはならなかった。

滋賀県の場合、大阪維新の会や減税日本のように首長自身が代表にはなってはいないが、首長が地域政党に加わるという、改革派知事たちがやらなかった形で、新しい地方政治の在り方を示した点で、嘉田知事は時代に区切りをつける役割を果たしたといえるだろう。

換言すれば、橋下・大阪市長も河村・名古屋市長も、嘉田・滋賀県知事が新しい発想のもとでつくった地域政党という土俵を前例として、それぞれの地方議会議員と一緒に政治を動かしたと見ることができるということだ。

総選挙を前にして、地域政党を築いてきた知事や市長たちが、国政を変えることを目指す活動を活発化させている。

「地方から日本を変える」と、闘う知事会を舞台に中央との戦いを展開した改革派知事の時代が過ぎて5年になった。

改革派知事の次の世代にあたる地方の指導者たちの「地方から日本を変える」国政挑戦に、筆者も大いに注目をしたい。

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2012年11月14日 (水)

改革派知事の時代が本になります

昨年から調べを進めて原稿を書いてきたものが、「改革派知事の時代 地方から日本は変わったのか」という題で、一冊の本になることになりました。

 

11月末から12月上旬にかけての発刊予定です。

 

直接の関係はありませんが、総選挙から参議院選挙にと国政選挙が続く時期に合わせた刊行となります。

 

1998年から2007年までの改革派知事の時代を概観することで、今の政治状況を考えていくうえでのヒントがあるようには思います。

 

全国の関心をもつであろう方々に、きちんと本を届けるようにしていきたいものです。

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岡山、東京でベテラン知事が退任しました

岡山県・石井知事、東京都・石原知事というベテラン知事が相次いで、今年11月に知事職から退任しました。

 

岡山県の石井知事は、改革派知事の連携グループのなかでは、国と地方の税制を考える会、地域からIT戦略を考える会、21世紀臨調の知事・市町村長連合会議、さらに分権型政策制度研究センターに参加をしていました。

 

なかでも、地域からIT戦略を考える会では、岐阜県の梶原知事とともに呼びかけ人となって、連携の輪を広げ、岡山で最初の会合をしたこともありました。

 

今年になってからは、ある意味、知事連携のスタイルを踏襲した形で、道州制を推進する首長連携グループを、大阪市の橋本市長とともに作ったところでしたが、任期満了に伴って知事を退任することになりました。

 

東京都の石原知事は、第3極勢力の大同団結を目指して総選挙の前に知事職を突然辞職することを表明した訳ですが、1999年からの東京都知事の就任しばらくの時期は改革派知事たちが活躍した時代と重なっています。

 

全国知事会に石原知事が出てくる機会は少なかった印象がありますが、2004年の三位一体改革で揺れた新潟県での全国知事会では、積極的に発言をしていました。

 

当時、全国知事会長をしていた岐阜県の梶原知事によると、石原都知事には相当の配慮をしたうえで、後継の知事会長にと考えたこともあるということです。

 

改革派知事の時代が過ぎてしばらくたって、その時代をともにした知事のみなさんも減っていることを実感した11月でした。

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2012年8月 8日 (水)

改革派知事の時代で原稿を書いています

改革派知事の時代のことを、6月から原稿に書いています。

1998年の地域から変わる日本推進会議から2007年の改革派知事たちの退場までの流れを書いています。

昨日、87日に最後まで一通りの原稿ができました。

1日で2千字から5千字のペースで書き進め、2度ほどの休憩をはさみつつ進行して、原稿用紙にして240枚ぐらいの分量になりました。

これからもう一度、全文を読みとおして、記述に統一感をもたせるようにしてみます。

その前に、構成を含めて読みづらいような気がする部分をどう補えるのか考えることが必要ですね。

つくづく、小説やドキュメンタリーを読ませるように書く力はすごいと思います。

僕の役割は改革派知事の記録を残すことに徹して、記録を素材に物語をさらにつむいでいただけることを期待します。

まだ、どこでどのような形で発表するかは決めていませんが、今年のうちには形にしたいと願っています。

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2012年7月17日 (火)

全国知事会の議事録で思うこと

全国知事会のホームページを見ています。

改革派知事の時代のうち、20039月から20052月までの梶原拓・岐阜県知事が全国知事会長をつとめていた間のことを調べるのに重宝しています。

平成11年度から全国知事会の記録がどこからでも見ることができるのは、ありたいことです。

特に、深夜に及んだ、新潟県で開催の20048月の知事会議の議事録全文が掲載されていることは貴重です。

政府から三位一体の改革で投げかけられたボールを、全国知事会ら地方6団体でどう打ち返すのか、白熱した議論がありました。

義務教育の国庫補助金を三位一体改革の地方案のなかに入れるかどうかが最大の焦点でした。

最終的には2日目の会議で異例の採決に至るのですが、歴史上の記録になることを意識しながら、知事のみなさんが発言していた記憶が傍聴していた僕にもあるので、議事録全文がネット上で残っていることは当然のことだと思う一方で、うれしいことでした。

せっかく保存している新潟全国知事会議の議事録も、今のままでは全体のホームページ構成のなかで埋もれている感があります。

自治体議会で増えているように、全国知事会の議事録を委員会やキーワードごとに検索できるようにならないかと願うところです。

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2012年7月 6日 (金)

改革派知事・記者会見記録の保存具合

改革派と呼ばれた知事のみなさんの県庁での記者会見記録がどうなっているのか調べてみました。

平成7年に就任した岩手県・増田知事は「平成194月までのバックナンバー」として平9年度以降のものが、平成11年度に就任した鳥取県・片山知事は「前知事の記者会見録」として平成11年度以降のものが県庁ホームページに記録が残っています。

平成7年から15年まで知事をしていた三重県・北川知事は、「知事会見概要(バックナンバー)」として、平成131月からの記録がありました。

高知県の橋本大二郎知事は、「平成1911月以前の知事発言集」として、平成121月からの記者会見記録だけでなく、講演やシンポジウムでの発言を拾うことができます。

梶原・岐阜県知事、浅野・宮城県知事、木村・和歌山県知事の記者会見記録は、それぞれの県庁ページでは見つけることができませんでした。

梶原・岐阜県知事は退職してから裏金問題が県庁で生じました。木村・和歌山県知事は知事の在職中に談合に絡んで逮捕されました。浅野・宮城県知事は後継者と指名した候補とは違う候補が当選したことなどが、記録の保存の有無に関係しているように推測はできますが、いかがでしょうか。

橋本・高知県知事、北川・三重県知事、増田・岩手県知事は、はっきりと後継者とした人物が後継知事になった訳ではありませんでしたが、かといって対立候補をたてるほどではありませんでした。

片山・鳥取県知事は副知事をしていた候補が当選して、後継に就任しています。

本来、歴史的に県政の検討をするためにも記録は残しておいてほしいと思うところですが、後継がどうなるかによって現職知事の記録がどうなるか、ある程度は決まるような実感を持っています。

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